2014年4月28日月曜日

【三題噺】崖っぷち・プール・ベルト

 私は羽佐間俊平。乃木坂自動車生産工場の工場長をしている。
 ある日の事だ。本社から、社長の息子である乃木坂康介氏が視察に訪れた。
 工場の入口まで出迎えた私に向かって、彼は言った。
 「近年の自動車生産は、全工程機械化の時代だ。雇用人数を減らし、ロボットを導入する」
 彼は御曹司ではあるが、後継ぎに特有の所謂、「口だけ偉そう」とか、「権威に傘着た能無し息子」とかではなかった。常に新しい技術を取り入れ、生産率の向上に努力を惜しまない。彼の手が入った事業は、かなり高い成功率を収めてきた。
 私は彼の提案に、断る理由もなかったし、断れるだけの権力もなかった。早速翌日から、工場員の解雇が始まった。
 「なんでやっ! 俺ァ、今まで三十年もこの会社に尽くしてきたんやぞ! それが今更解雇やと!? ふざけんな!」
 工場内に怒声が響き渡った。その声はそのまま私の心の深い所にも響いてくる。彼がこの会社に尽くしてくれた三十年という年月は、そのまま私と彼が共に働いた年月でもある。
 私はただ、地面に頭を擦りつけるしかなかった。
 「神田さん、ええ加減にしとき。羽佐間さんかて、好きで言うとるワケちゃうんやから。な?」
 見兼ねて、鈴原さんが声を掛けてきた。その鈴原さんすら、解雇された工場員の一人なのだ。
 私はいつまでも、頭が上がらなかった。
 
 数日後、遂にロボットが導入された。ベルトコンベアで部品が運ばれ、アームで次々と自動車が組み立てられていく。私達は、それをただ見ているだけで良かった。
 給料が上がり、家族も喜んだ。これで良かったんだと、私は自分を慰めた。解雇した仲間達の事は、出来るだけ考えないようにしていた。
 
 それから、約一年の歳月が流れた。
 工場は窮地に立たされていた。
 大きな失敗があった訳ではない。敢えて言うなら、自動車生産工場が海外にまで進出した事だろうか。
 当然、日本よりも海外の方が人権費が安く付く。その内に海外の工場の方が活発になってきた。すると途端に、日本の工場は苦しくなってくる。
 生産された自動車は、プール(溜め込む)されるばかりで売れていかない。本社からはどんどん経費を削減され、人を雇う余裕もない。残業ばかりの毎日が続いた。
 仕事帰り。私は身体を引きずるようにして、街を歩いていた。
 明日からどうしよう。
 どうしようもない。わかっているが、考えずにはいられなかった。
 明日からどうしよう。
 と言うよりも、明日が来るんだろうか。最近過言ではなく、自殺を考える。これ以上苦しくなる前に、一家丸ごと自殺してしまった方がいいのではないだろうか。
 ふっ、と鼻を鳴らして、自分を笑う。自殺なんて、そんな事出来る強さもない癖に。
 馬鹿馬鹿しい考えを吹き飛ばす為に、私は顔を上げた。
 と、視界の隅に、懐かしい人物を見かけた。
 一年前に喧嘩別れした、神田さんだった。
 彼が居たのは、自動車売り場だ。制服を着て、自動車の整備をしている。彼はどうやら、自動車を売る仕事に就いたらしい。
 私は神田さんに気取られないように、遠くから彼を見た。頬は少し痩せこけたように見えるが、どうやら元気良くやっているようだ。
 少しだけ、心が軽くなるのを感じた。
 そこへ、一人の客がやってきた。
 「すみません、安くて良い車を探しているんですが……」
 そんな車あるか、と、私は思う。良い車を作ろうと思えば、自然と金が掛かる。安くて良い車なんて、そんな都合の良い物は存在しない。
 恐らく神田さんも同じ事を考えているだろうに、そんな事はおくびにも出さず、にこやかに接客していた。
 「はい、ではこちらの車はどうでしょうか?」
 神田さんがそう言って指したのは、日本産の自動車だった。私の心に、何か熱い物が芽生えた。
 「え……、高……」
 難色を示した客に、神田さんは熱心に勧める。
 「確かにお値段は少し張りますが、それに見合うだけの乗り心地と、耐久性があります。決して損はさせませんよ」
 「でも……」
 神田さんは必死だった。日本産の自動車の良さを熱く語る彼の額には、汗まで浮かんでいた。
 しばらくして、客は自動車を買わずに帰っていった。
 しかし神田さんには、後悔した様子はなかった。満足そうな顔で、次の客のもとへ向かい、日本産を勧める。
 しばらく神田さんを見た後、私は何も言わずに、自動車売り場を後にした。
 自宅を目指しながら、明日も頑張ろうと思った。

0 件のコメント:

コメントを投稿